夕食後は、口直しというわけではないが、昨年の訪問時に知遇を得たカシミールを代表する音楽家モハマッド・スバハン氏の家をみなで訪ねた。日本からのNGOの人たちを連れてくるといったら、演奏してくれると約束してくれていたので。前回は僕ひとりのために演奏してくれ、大感激だった。スバハン氏は以前に招かれて日本に演奏旅行に行ったことがあり、大の日本贔屓なのである。すばらしい演奏の感激はぜひみんなで分かち合いたいと思っていた。奥さんの煎れてくれたおいしいサバス・チャイ(緑茶)をいただきながら、応接間でのミニ ・コンサート。ラバブと呼ばれる弦楽器は日本の琴の系譜を引く楽器。スバハンさんのごつごつした指からは想像できない繊細で少し物悲しげな音色が身体中に染み渡ってゆく。特に望郷の歌にはジーンとくるものがあった。歌の意味はわからなくても、思いは音色で伝わってきた。実はスバハンさんはパキスタン生まれではない。分断されたカシミールの向こう側、インド ・カシミールで生まれた。1965年に危険をおかして国境線(正確には停戦ライン)を越え、パキスタン側に亡命してきた。まだ二十歳そこそこだった。そのとき地雷を踏み、現在でも左足が少し不自由だ。一緒に逃げてきたのが今の奥さん。ムザファラバードで結婚した。こう聞くとロマンスの逃避行という感じだが、パキスタン側に逃げてきた理由については多くを語ろうとはしない。政治的なことを語るのは依然としてタブーなのである。ムザファラバードではラジオ番組にレギュラー出演することによって生計を立ててきた。が、生活は悠々自適というわけではない。芸術家というものはどの世界でも食べていくのが難しい。60歳を目前にして、スバハンさんはインド ・カシミールへの望郷の思いを断ちがたく、パキスタン政府に訪問の申請をすでに行なった。地震の少し前から印パ間の関係融和が進み、地震を契機としてムザファラバードとスリナガルを結ぶバスの運行が始まったからである。向こう側にはまだ兄弟が健在だという。生きているうちに一目会いたいと思うのは当然だろう。ところがパキスタン政府からは許可が出ないという。その理由は「あなたがインド側に行ったら、国を捨てた裏切り者のあなたの命が危ない。撃たれてもおかしくない。だからパキスタン政府としては行かせるわけにはいかない」というものらしい。だが、これは政府の本音ではないだろう。そういうところにカシミール人を理解することやこの地方に関わっていくことの困難さが現れていると思う。カシミールの人から本音を聞きだすのは容易なことではない。地震の支援が滞っている原因のひとつは、まちがいなく政治や歴史にある。