Osamu Funao Photography

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フィリピン残留日本人

フィリピンには戦前からたくさんの日本人労働者が海を渡り移民として暮らしていました。その多くは現地で妻を娶り家庭を築き上げていましたが、彼らの暮らしは第二次世界大戦の勃発によって一変してしまいます。

 

当時フィリピンはアメリカの植民地でした。そこへ日本軍が上陸、占領したのです。しかしアメリカはフィリピンを奪還していく過程で日本軍と各地で壮絶な戦いを繰り広げ,フィリピン全体で200万人の死者、日本軍だけでも50万人以上が亡くなったと言われています。

 

戦争に協力した日本人移民1世の多くは戦死したり日本へ帰国していきました。戦中に残されたのが2世たちです。まだ子どもだった2世の多くは日本軍と一緒に逃げ惑い、あるいはフィリピン人の母親と逃避生活を余儀なくさせられました。フィリピンの生活に溶け込んでいても、アメリカ軍とフィリピン人にとってみれば日本人の血を引く者はすべて敵だったのです。その混乱の中たくさんの2世たちも命を落としました。

 

戦後、生き残った2世たちは、自分たちが日本人の血を引いていることを隠して暮らします。反日感情が根強かった当時は、日本人であることがばれると身の危険があったからです。日本語を一切話さず、日本の習慣も出さず、フィリピン社会の中でひっそりと。

 

戦後70年が経るなか、2世たちも老いてゆき、戦前・戦中の記憶を持つ人たちは少なくなりました。私はフィリピン各地にそうした2世たちを訪ねながら、あの戦争とはいったい何だったのかということを自分なりに考えてみたいと思ったのです。

 

The Japanese Filipino’s hard life during & after the second world war between Japan and United States of America.